「エベレストの展望を求めて」

1998年4月23日〜5月10日
アルパインツアーサービス主催
ツアーリーダ:鈴木 達夫 参加者:15名



 「ブラボー」 カドマンズからの16人乗りのセスナ機が、飛行場とは名ばかりのルクラに着陸したとき、一行は感嘆の声をあげました。 ここルクラは標高2800m、世界最高峰エベレスト(8848m)を目指すものが一度は歩くエベレスト街道の登山口。 ここから、エベレストの展望台として有名なカラパタール(5545m)へのトレッキング開始です。

 私の山歩きも10年を過ぎ、どこか海外の山へ行きたいな、と思っていた時、 何故か目に留まったのがエベレスト展望の地、カラパタール。 標高が高いので高山病の不安(1)はあったのですが、ヒマラヤトレッキングだから大丈夫(2)と言い聞かせて、 あわてて参加申し込みをしたのでした。

 エベレスト街道は前半が谷沿いの歩き、後半が砂礫地帯(氷河地帯)になります。 最初のころは、谷の遠くの雪山を見つける毎に大喜びでした。やがて石楠花の群落を通り過ぎ、森林限界を越えると、 展望がひらけます。見渡せば6000〜7000mの山々、8000m峰もいくつか見つけました。 本当に手を伸ばせば届きそうに思えるのですが、自分の居る場所は標高4,000m前後ですから、 3,000m以上高いのです。トレッキングの間、これらの山々の展望に圧倒されていました。

 一方、街道沿いの素朴な村々での人々や、ゴンパやマニ石、マニ車などチベット仏教とのふれあいも「旅」の喜びの一つです。 すれ違う毎にいつも「ナマステ」と声をかけあう人々。カメラを向けるとはにかむ子供たち。 一行16人はすべて日本人でしたが、サポートのための総員15人のシェルパとも、片言の英語・日本語で和気あいあいの間柄になりました。

 さて、氷河を越え、最終目的地のカラパタール(5565m)へ。ここは気圧500hPa、要するに気圧が普段の半分しかありません。 薄い空気にあえぎながらも頂上に辿り着いて振り返れば、圧巻はヌプチェ(7855m)越しに見えるエベレストです。 世界の屋根とも、神々の座とも言われるエベレスト。やっとここまで来たという思いと、世界最高峰をこの目で見たという感動を、 これからもずっと忘れることはないと思います。 日本に帰ってきて数週間が過ぎましたが、暇(と金?)を見つけて(作って?)、また行ってみようと考えています。 それまでは体力を維持しておかねば.....。

  1. 高い場所に登った時、主に酸素不足のために現れる、頭痛、吐き気、不眠などの症状。3000m台からはじまり、 4000m付近で顕著になる。対策としては、徐々に高度を上げて体を慣らしていくことくらいしかない。
  2. シェルパとポーターにより、テントの設営や撤収、食事の世話、荷物の運搬、など一切の世話をしてくれる。 このため、個人の荷物は、雨具、セーター、水、など、行動中に最低限必要なものだけであり、大きさ20リットル程度のデイパックで十分である。


  • 4月23日 東京(成田)発->香港経由->カドマンズ着

    東京(成田)発、キャセイパシフィック航空にて空路、香港へ。 着後、ロイヤル・ネパール航空に乗り継ぎ、ネパールの主都カドマンズ(1300m)へ。

  • 4月24日:ルクラからパクディンまで[17]

    朝、山岳飛行便でルクラLukla(2800m)へ。着後、シェルパ、ポーターと合流し、トレッキング開始。 ドゥードゥコシ沿いの道をパクディンPhakding(2652m)へ。(約3時間)

  • 4月25日:パクディンからナムチェまで[5]

    谷沿いの道をジョザレJorsaleへ。エベレスト(サガルマータ)国立公園の入園手続き後、 高度差600mの坂道をゆっくり登り、シェルパの里ナムチェNamche(3440m)へ。(約6時間)

  • 4月26日:ナムチェ滞在[13]

    高度順応のため、ナムチェ滞在。ナムチェの東側の丘を経て、シャンボチェSyanbocheの飛行場まで往復。(約4時間)

  • 4月27日:ナムチェからタンボチェまで[6]

    タムセルクThamserku、アマダブラムAma Dablamなどを眺めながら、ほぼ平坦なトラバース道をテシンガTrashingo(3450m)へ。 いったん谷底のプンキPhunki(3200m)へくだり、再び高度差600mの坂道をゆっくりと登って、 好パノラマを誇るタンボチェTengboche(3867m)へ。(約6時間)

  • 4月28日:タンボチェ滞在[14]

    高度順応のため、タンボチェ滞在。午前中無名峰(4300m)まで往復。午後はゴンパを見学。(約4時間)

  • 4月29日:タンボチェからディンボチェまで[12]

    石楠花の樹林帯を下り、アマダブラムを仰ぎ見ながらなだらかな登りを最奥の定住村パンボチェPangboche(3985m)へ。 さらにイムジャコーラImja Khola沿いのなだらかな道をたどり、ディンボチェDingboche(4343m)へ。(約5時間)

  • 4月30日:チュクン往復[16]

    高度順応のため、ディンボチェ滞在。“全ヒマラヤで最も美しいヒマラヤひだの山々”といわれるイムジャ・コーラの無名峰群を一望する、 イムジャ谷のチュクンChhukung(4730m)まで往復。(約5時間)

  • 5月1日:ディンボチェからロブチェまで[10]

    山腹のトラバース道を進み、クーンブ氷河Khumbu Gl.のエンドモレーン(堆石丘)の末端にあるトゥクラTukla(4620m)へ。 高度差約300mのモレーン(堆石)の急坂を登りつめ、その後氷河に沿った平坦な道をロブチェLobuje(4930m)へ。(約6時間)

  • 5月2日:ロブチェからゴラクシェプ、カラパタール登頂[26]

    ゆるやかな道を進み、チャングリ氷河Changri Nup Gl.末端のガラ場を横断してゴラクシェプGorakushep(5160m)へ。 午後、ゴラクシェプから高度差約400mの広い斜面を登りカラパタールKala Pattar(5545m)登頂。 その後、ゴラクシェプまで。(約7時間)

  • 5月3日:ゴラクシェプからペリチェまで[23]

    往路を、ロブチェLobuje経由、ペリチェPeriche(4552m)まで。(約6時間)

  • 5月4日:ペリチェからテシンガまで[1]

    タンボチェTengbocheを経由し、テシンガTrashingoまで下る。(約6時間)

  • 5月5日:テシンガからモンジョまで[10]

    往路をはずれ、クムジュンKhumjung(3790m)からホテルエベレストビューへ(ただし一面霧の中!)。 ナムチェNamcheを過ぎ、モンジョMonjoまで、(約7時間)

  • 5月6日:モンジョからルクラまで[4]

    往路を、ルクラLuklaまで下る。(約6時間)

  • 5月7日:ルクラにて航空便待ち[3]

    朝、霧のため予定していた航空便が飛ばず、1日停滞。

  • 5月8日:ルクラからカドマンズへ、市内観光

    小グループに分かれて、三々五々市内観光&お土産購入に忙しい。

  • 5月9日:カドマンズ発、香港着

    朝、ロイヤルネパール航空にてカドマンズ発、香港へ。トランジットのため、香港に1泊。ささやかな市内観光。

  • 5月10日:香港発、東京(成田)着

    キャセイパシフィック航空にて香港発、帰国の途へ。


制作:加藤 輝男 1999年8月22日
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